ファーストコンタクト


"GTA"とは Renault Alpine V6 GT,V6 Turbo の開発コード名(Grand Tourismo Alpine)の意味です

Alfa Romeo 1300 GTAのホームページと思って訪れた人がいましたらゴメンナサイね。でも宜しければ同じ欧州車ですからゆっくり楽しんで下さい。

Alpineとの出会い

あれは小学5年生の頃でしたか、立ち寄った町の本屋さんで見かけない車のプラモデル(本屋さんだがプラモや事務製品なども売っている)を見つけたのがきっかけ。

その車とは "LANBORGHINI COUNTACH LP400" カウンタック!!(伊語では驚きという意味らしい)本当にビックリ、こんな車があっていいのか?って感じ。そして、暫くしてあの『サーキットの狼』が登場して怒涛のスーパーカーブームが沸き上がって来た訳です。えっ、Alpineの話が出てこない?まぁまぁ、落ち着いて。

 

ママちゃりで多角形コーナリングの挑戦に飽きた頃、またしても変な車のプラモを見つけてしまった。

そのパッケージ(上の画像)は幅広いプリスターフェンダーに定番のウィング、ボンネットにジタンのお姉さんが踊っているZに似た青色のラリーカーです。(上のプラモは最近に京都市内のコレクターより入手。あの頃と同じ物、涙涙。)

そう"Alpine A310"です。

ストラトス、イオタなどは確かにカッコイイ。でもこんな夢物語な車は買える訳がない!(当時は勿論今もそう思っている、悲しい)それに比べA310はどうだ?シンプルなデザイン(Zに似ているからか)だが妙に親しみ(どんな?)のある現実的なスタイルだ。911とは違う力強く色っぽいRRスタイルに惚れてしまいました。

当時は歴史ある"Alpine"と言うより"A310"が好きでした。

そして Alpine V6 Turbo

21歳の頃、"Alpine"という単語を忘れてかけていた時にふと手にした雑誌(多分、Car Magazine誌と思う)で歴代の"Alpine"の特集を見た時です。あっ、この車は昔作ったA310の進化版か? なんてカッコいいんだ!これは宇宙一だ!(それは当時も今も変わっていない)

これが私と"Alpine V6 Turbo"との最初の出会いです。(出会いが実車であればもっと劇的なのですが、只の記事でスミマセンね )因みに左の画像は私に影響を与えた3誌です。左から Car&Driver 88/8月号、Tipo 平成元年7月 なんと創刊号!、CarMagazine 95/11月号です。

バブリーな時代へ

軽自動車でも考えていた時に立ち読みで手にした"Car&Driver"誌。記事にはなんと"Alpine V6 Turbo"が!実はレアな車の特集で堂々と最初の車として掲載されていた。さらには後に購入した日産エクサ・クーペも紹介されている。今思えばこれは運命としか言いようがない!(大袈裟)

当時はバイク中心の生活をしており、バイクと共存出来る車は軽自動車が一番!と思いダイハツ・リーザターボを購入。これはこれで結構走り楽しめたが、所詮は軽、高速や長距離ドライブは大の苦手。そこで軽人気があるうちにバイバイして、Be-1を出して波に乗っていた頃の日産のしかもマイナーなエクサ(言っておくがパルサーエクサではない!)のアメリカンなコンセプトが気に入り乗り継ぐ事に。(やはり運命か?)

Car&Driver 88/8月号。少数派モデルの特集記事、ライバルはポルシェ944。月間販売台数は2台!多くても9台。こりゃ本当に少数派だ。当時は憧れだけで買う気なんて毛頭無かった。(なんせ価格が)
実はその頃はオープンカー(又はセミオープン)が欲しくて、少数派モデルの記事中の日産エクサに一目惚れ。暫くしてマイナーチェンジで登場した"LAバージョン Type S"と8年間もお付き合いする事になるとはね。

1600ccでTバールーフ、馬力は無いがそこそこ回るCA16DE、+ 2 のリアシートを倒して荷物満載、思い出も満載、海にスキーに活躍しました。生活に余裕があれば今でも手元に置いておきたい車です。あぁ、今度はキャノピーが欲しい!

CarMagazine 95/11月号。V6Tを諦めきれない時に”徹底検証、今こそ欲しい輸入スポーツカー特集”。これはやるしかない!誓い、関東−中部−関西のショップと個人売買頁でとにかく探しまくった。そして....

ついに念願の V6 Turbo

本格的に探し始めたのは96年末頃より。(25歳の92年頃から探してはいたがバブルが終わったとはいえ、まだ手の届かない価格であった)とにかく京都市内のディーラー、中古外車屋、雑誌の個人売買で電話しまくり、関東のルノー専門店にも何度か足を運び、中にはリゲインのCMでお馴染みの俳優が乗っていたV6Tなんてのも見つけました。程度の格差が激しすぎる車だけあり、安くてもなるべく程度を優先して探したものです。

そして、97年の3月31日の夜、飲んで帰ってクラクラしながら就寝しようとした時に電話が。大阪の天満橋在住の方より『譲ってもいいですよ』と奥様より返事でした。もう嬉しさ一杯で酔いが一気に覚めた!伊奈さん、有り難うございます。

この続きはアルピーヌ日記97年へと続く!